あるサラリーマンの冒険的旅行ブログ

とあるサラリーマンの印象的な旅を綴った記録です

ディープなインド旅行6日目(最終日)@コルカタ

旅の最終日となる今日この日に予期せぬ貴重な体験をすることができた。

この経験を将来に活かさなければならないと感じている。


昨日バラナシ出発の列車は4時間遅れ。


日本なら怒号が飛び交うか、ため息をついた人で溢れるであろうこの状況でも、そんなことをするインド人は一人としていない。


この数日間近に見てきたインド人に関しては、

「遅れるなら待てばいい」

「やることがなければ寝ていればいい」

このように、時間に縛られたhave to ~の意識があまりないように思う。


到着までは更に遅れるかと思われたが、意外にも順調に運行し、結局のところ4時間遅れのまま終着のコルカタ(ハウラー)駅に到着した。


かなり遅れても間に合う予定を組んでいたものだから、この程度の遅れで済んだ今、やることがない。


コルカタ発は夜中1:15am発なので、12時間近くの時間を持て余すこととなった。


まだ時間が早ければ、見そびれたカーリー寺院の山羊を生贄に捧げる儀式を観れたかもしれないが、昼過ぎの今それには間に合わないし、ガイドブックにある近郊の寺院など今更観に行きたいとも思わない。


とりあえずハウラー橋を徒歩で越えて(📷)、コルカタで一番の高級な店が軒を連ねたチョウロンギー通りに行くことにした。

コルカタの汚い所はたくさん観たが、一番華やかな所も観ておくべきとその時は思った。


が、特に得るものはなかった。オベロイ・グランドという超高級ホテルがあり、確かに荘厳だ(📷)。周りも露店がひしめき合って活気に溢れている。


だからどうしたというのか。


全てが俺の価値観の中で何も面白くない。

この重い荷物を1時間以上背負って歩いてまで観る価値などなかった。


もう本当にやるべきことは何もないのだろうか?

俺の運命的な出会いはもうこのコルカタには残されていないのだろうか?


昼食を摂りにインドのファストフード店に寄り必死に考えた。

(インド風のスパイシーなチーズグラタンがうまかった(📷))


そうだ。マザー・ハウスに行こう。


マザー・ハウスとは、マザー・テレサが生前に拠点としたところで今も彼女が安置されている。

ここは外国人にも開放されており、多くの人が訪れる。


また、マザー・ハウスでは、ハンディキャップを持った子どもや老人など5つの施設から選択できる一日単位のボランティアに参加することができる。

ボランティアは挨拶まわりや洗濯、髭剃り、排泄の手伝いなどを自主的にやるという。


実は、旅行計画当初このボランティアに参加しようと思っていたのだが、事前の説明会に参加し、かつ、終日の活動に参加する日程の都合がどうしてもつかなかったため、断念していた。


この時間からボランティアの参加もできないが、マザーが安置された施設の見学くらいできるだろうと思った。


しかし、よくよく見ると休館日は木曜。今日は木曜だ。


なぜだろう?観る必要はないというのか。そんなことはないはずだ。


仕方ない。それならば、最悪閉まった施設の前でマザーを想って十字架を切るだけでいい。行こう。


(ちなみに、俺はキリスト教ではないが、神というか運命・因果の存在を心の何処かで信じているタチである)


30分ほど歩いて施設の前に着いた。


正面の門は閉じられており(📷)、その前で立ちどまった。十字架を切って帰ろうかと思ったところ、脇の扉から招き入れられ、中に入り、目的を尋ねられた。


「ただ中を見せてもらいたいと思って。今日は閉館の日だと知っていたのですが。」


不安がりつつ尋ねるこの青年にもシスターは優しかった。


「是非子どもたちに会ってみませんか」


シスターに施設を案内してもらえることとなった。いきなりのことなので、心の準備が追いつかない。


最初にあったのは障害のある子どもたちが30人ほどいる部屋だった。一見してそれとわかる子とわからない子、元気そうな子と元気がない子と様々だ。概ね6歳以下くらいだろうか。


部屋に案内されたきり、何を説明されたり指図されることもないので、俺なりに子どもたちとコミュニケーションを取ろうとした。


といっても、できるのは子どもたちの手に触れて「Hello!」と笑顔で声をかけてあげるくらいだったが。

それでも、無表情だった子どもが笑顔になってくれた時はこの上ない喜びを感じた。


そのあと、もっと小さな子やもうちょっと年長の部屋など色々案内してもらった。

その時不覚にも赤ちゃんが後ろ向きに倒れるのを間一髪助けられず泣かせてしまい、「君は強い子だよな」と励ましたりもした。


赤ちゃんは本当にめちゃくちゃ可愛かったし、施設の子ども皆が愛らしく感じた。


30分足らずの短い時間ではあったが、とてもいい経験をさせてもらったことを感謝した。


今度来るときはボランティアをしに来ることをシスターに伝え、別れを告げた。

最後に名前を聞かれた。


「YUTO ユウトです。日本から来ました。また来ます。」


この国ではもう何回名前を尋ねられたか思い出せないくらいだ。


門前にあったマリア像に触れ、十字架を切り、施設を出た。


時間は全然まだあったが、空港に向かうことにした。この体験をコルカタの旅の最後のハイライトにしたかった。


(…といいつつ、ヒンディー語しか話せない男に空港で絡まれる(📷))


空港には余裕を持ってつくことができ、これから香港経由で日本に帰ることになる。


今回もいい旅だったな。

色んな出会いを楽しめたし、酷い環境に置かれたり、酷いトラブルにも巻き込まれたけど、それが自分の価値観の変化や強さに結びついたと感じ取れている。


やはり世界はもっと良くなれるはずだし、この経験によって、その可能性を知る者として積極的に自ら行動して行くべきだと意識を新たにした。


もっと成功したい。成功して、人々がより幸せを感じられる世界に積極的に貢献したい。


もっとオラに(カネと)力を分けてくれ!(元気玉)


そんなことを考えつつこの旅を終えた。


ディープなインド旅行 終わり

ディープなインド旅行5日目@バラナシ

万事手配していても何もかもが上手くいかない。だからこそ、それが運命と感じている。


一昨日からホストマザーのSeemaとガンガーのボートにどう乗るか相談していた。


レートは、

・大きい船の相乗りなら一人300ルピー(480円)

・小さい船の貸切なら1000ルピー(1600円)

だという。


ゲストハウスに泊まる予定のもう一人のゲストがボートを貸切にするつもりなので、シェアして料金を折半する交渉をすることにした。


また、沐浴したいことを申し出て、安全な場所と沐浴用の服を用意してもらうこととした。


ボートを漕ぐ男性はSeemaの知り合いで、先日もマレーシアの男性を案内したという。

その時の動画も昨夜の晩に食事をしながら見せてもらった。


全ては万事手配しており、朝を待つばかりだった。


朝5時に部屋に迎えにくるというので、その少し前に起きて準備を済ませていたところ、

時間を少し過ぎたところでSeemaが俺の部屋を訪ねてきた。


「彼は今日来ないわ。」

「えっ?」

「今日はインドの独立記念日だから、全てのボートは運行しないって」


ここまで手配しておいてさえ、うまくいかないものか。。


確かに8/15はインドの独立記念日なのは知っていたし、それを今後の行動に考慮に入れていなかった俺にも落ち度はある。

だが、なぜ事前に友人のボートマンはそのことを言わないのか?問い詰めたかったが今や無為なので口を閉ざすこととした。


いきなりやることがなくなってしまった。


せっかくのバラナシの朝なのだからと、日の出を見に、近くのアッシー・ガートに行くことにした。


既に人々はガートに集まり、毎朝行われているであろう宗教的セレモニーを催していた。

なるべくオープンマインドで瞑想的心境に至るように努めたが、なかなか難しい。


セレモニーが終わったあとは、ステージでバンドによる演奏が行われてた。インドの音楽ではあるだろうが、曲調がポップで聞いていて心地よい(📷)。


そこでまたインド人青年に日本語で話しかけられ、いつものやりとりが始まった。

彼はAnmolと言った。日本語は大して話せないが、彼はガイドを生業としており、それを機に仲良くしている友人が世界各国にいるようだ。


色々話すうちに仲良くなり、彼の旅の写真と俺の写真をお互いに見せ合った。


なぜか彼の写真は自撮り写真が多かったので、そのことを指摘すると、


「自分のことが好きじゃなしに、人のことを好きになんてなれないだろ」

「これって凄く重要なことだよ」


と真剣な眼差しで言われた。


「Yutoは自分のことが好きじゃないのかい?」

「少し好きかな」


考えさせられた。


小雨が降り始めてきた。

結局日の出は雲に隠れて見えないままだった。傘もないので一旦ゲストルームに戻ることにした。


記念に彼と写真を撮り(📷)、LINEのアドレスも交換した。

彼に「もし日本人でバラナシに来る人がいればガイドするので紹介してほしい」と言われ、承諾して別れを告げた。


帰る途中に、隣接した人気の少ないトゥルスィー・ガートに寄り、パンツ一枚を残して裸となり、ガンガーに沐浴した(📷)。


底は泥でヌルヌルしており少し気持ち悪かったが、肩まで浸かり、ガンガーの水を手で掬って頭に何度もかけた。


服を着て、小雨を浴びながら、何となくインド人の気持ちが知りたくなり裸足でゲストルームまで帰った。


バラナシに来てやるべきことはやりきった清々しい思いだった。


帰ってからシャワーを浴び、しばらく伸ばした口髭を剃り、髪型や身だしなみを整えて、Seemaさんにいただく最後の朝食を食べた(📷)。


これからどうするのかを聞かれ、マニカルニカーよりもさらに下流を散策して、列車の時間に間に合うように適当に帰るつもりだと告げた。

そうするとマニカルニカー近くのオススメのBlue Lassyというラッシー屋を勧められ、そこに寄りつつ帰ることにした。


前日分の日記の投稿を終えて出発する頃はもう荷物を持って出かけた方が良さそうだった。


Seemaにご馳走になった食事の代金とお世話になったお礼。そして次に来るときはフィアンセを連れて来ることを伝えて別れを告げた。


ラッシー屋は遠く、荷物も重いので、オートリクシャーで行くことにした。ちょうど話しかけてきたドライバーに行き先を告げ、値段交渉をして向かう。


しかし、途中で独立記念日を祝う車列と交通規制に出くわし、途中下車せざるを得なかった。

ドライバーは満額要求したが、当然ながら値切って話を付けた。


歩いてラッシー屋に向かい、マンゴーラッシーを食べた(📷)。「あ、何か普通の観光っぽいな」とちょっとウケた。


その後、近くにある傾いた寺院が有名なガートを見て(📷)、たまたまそこに一人で日本人観光客とお互いの旅について言葉を交わした。彼と別れたあとはオートリクシャーに乗りバラナシ駅に到着した。


これからまたコルカタまでの長時間の列車に揺られなければならない。

必要な食料を買い込み、列車を待つ。


そういえば、ちょっとした変化に自分で気づいた。

行きと帰りで、バラナシ駅の同じあたりを歩いており、案の定、客引に絡まれるわけだが、行きでは無視するか、”No”とか”No need”と言うくらいしか対応しなかった。

ただ、帰りには「ショッピングするだけだよ」とか「これからコルカタに帰るんだよ」とか対応している。これが心の余裕というやつか。


さて、到着のルーズさと、遅れた時間が過ぎても変わらないような表示の不親切さには驚くが、なんとか4時間遅れの列車に乗った。


早速、隣の席で口げんかだ。やれやれ。なんで列車に乗るだけで喧嘩すんだよ。。


帰りの飛行機に間に合うよう列車の時間は十分に余裕は見ているが、出発時点で遅れているのが気がかりだ。

こればかりは俺自身じゃどうにもならない。


明日何とか飛行機の間に合う時間には到着してくれよ。


祈るようにして今日を終えた。


5日目終わり

ディープなインド旅行4日目@バラナシ

インドで人との出会いを避けては通れない。

その出会いは、幸せな出会いと最悪な出会いが紙一重だ。

今日だけでそのどちらも体験した。


しかし、日本人は出会ってすぐにインド人は自分たちを騙そうとしていると決めつけて拒否する。


だが、彼らもただ興味本意かもしれないし、目的を持ってこちらに接している場合もあり、拒否するならそれが自分の望まないものとわかってからでも遅くない。

それを楽しめるようになると面白い。


なんてね。


朝早く起きたものの、昨晩寝落ちしてしまい進まなかった前日の日記(投稿)を書き進める。


バラナシは朝早くからの行動が吉であるが、朝は明日も来るので、今日は朝からゆっくり行動することとした。


作ってもらった朝食をとり出発。

毎度Seemaさんの作る料理は最高である(📷)あとで聞いたところ、自己流ではあるがゲストに料理を教えることもあると言う。むべなるかな。




とりあえずは一番の見どころらしいマニカルニカー・ガートには行くことにして他に何を決めることもなく出発した。


ちなみにバラナシのガートには2つだけ火葬場があり、マニカルニカーはその大きい方である。


時間はあるので、上流から下流にかけてガートを隈なく回りつつと思った、が、実際は案内表示が英語でされていないところも多く、狭い路地を抜けて全てのガート回ることは困難だと早々に気づいた。

(ちなみにガートは全部で84ある。)


また、ガート自体はただの沐浴場なので、全てを回っても、それぞれに魅力があるわけでもない。


そのため、見る価値のありそうなガートだけ寄りつつ、マニカルニカーを目指した。


ガートのある川沿いには路地が巡っており、ちょうど人が3、4人通れるくらいと細い(📷)。そこを人、野良牛、野良犬、バイクが通って行く。




上流と下流を行き来できる路地は観光客用に店が連なっており、お土産を楽しむこともできる。


が、路地は牛の糞がほとんど踏まれたまま放置されており、ゴミも散乱し、たかるハエや牛や野良犬があさったりするなど、カオスというか単純にクッソ汚い。


こんなところをずっと歩き回って伝染病に罹っても、「あ、やっぱり?」と思うほどだ。


最初のガートに到着した。尖塔が立っており(📷)、その奥から隣のガートを見渡すことができる。


インド人の青年が話しかけてきた。

「どこから来たの?」「東京」

「名前は?」「YUTO ユウトだよ」

「何歳?」「いくつに見える?」

「うーん、25歳くらいかな」「33だよ」

「えーっ!」

このやり取りは今日この時を始めとして明日にかけて5回以上繰り返すこととなる。


さらに、

「お茶飲まない?」「いや、いらないよ」

「奢るからさ」「お腹を壊してるんだ」

この会話も3回以上はしたと思う。


この時は、

「ボート乗らない?友達を紹介するよ」「いや、明日乗る予約をしてるから今日はいいよ」

「あそこにいる女の子のうち誰が好み?」「左の子かな」

「声かけてあげようか」「シャイだから遠慮しとくよ」


インドの青年は人懐っこく、日本人に気軽に話してくる。この時もこんな会話を楽しみ、別れを告げて、次のガートに向かう。


次のガートは少し焦げ臭い匂いがするのガートだった。ヤギと犬と鶏がそこかしこにいる。特に、少し周りを見渡して特になにもなかったため、そこを後にする。

(ただ、あとでまた戻ることになる。)


しばらく歩くと、狭い路地の一本向こうの道に賑やかな市場があったので、そちらに出る。その先にあったのがダーシャシュワメード・ガートだ。


岸辺のほぼ中心に位置するため、最も多くの巡礼者が訪れるガートだそうだ。確かに広く、階段に腰掛ける人、沐浴する人などで溢れており、観光客も時折目にする。


暑いのもあり、階段に腰掛けていると、こちらをチラチラと見てくるインド人のイケメン少年を発見。”look so dandy!”と声を掛け、写真を撮ってあげた(📷)


そのまま腰掛けていると、日本語を流暢に話すインド人青年が声をかけて来た。

一通りの会話は記憶も定かでないので端折るが、自分は地球の歩き方にも載っている織物屋の息子で、そこの宣伝をしているのだという。見ると確かに載っていた。


他にも色々と行く先で注意しなければいけないことなどを聞いた後、彼に連れられて織物屋に行ったが、買わないことをあらかじめ告げ、結局何も買わずに店を出た。


ちなみに、多分息子というのは嘘で、客を紹介してコミッションをもらっているのだろう。ただ、これだけ人が多い中で安定した仕事が少ない中、彼らのやり方を否定することはできない。


それから彼はこの先にある黄金寺院に案内してくれると言ったが、一人で行きたいと告げて彼と別れた。

彼は良いやつそうだ。名前は忘れたが。

帰り道でもう一度会ったので一緒に写真を撮った(📷)


なぜかあった長い行列を避け(後でそれは黄金寺院への行列だと知った)、路地を進んで行くと、すれ違いざまにおっちゃんに話しかけられて、言われるがままに迷路のような路地を進んで行く。


あまりに人気の無く、細く、時折暗いところを進んで行くので、シェンムー的展開(※)が頭をよぎった。


(※路地に迷い込み、地元の不良に絡まれるパターン)


が、そんなことはなく付いたのは火葬場。おっちゃんの知り合いだというボランティアを名乗る男に代わって火葬場を案内してもらう。


その男は近くにホスピスがあることなどなんやかんや説明をした後、遺族に薪代を寄付するのが業(karma)だという話をしだした。


出たよ。クソ詐欺師が!


「他の観光客も20ダラー、30ダラー、40ダラー寄付している。あなたはどうするか?」ときた。


へーへーいきなり通貨はドルかい。それに40ドルだ?ペットボトルのジュース一本が50円の国で単位間違えてんじゃねーのか?


「払えるわけねーだろ」日本語で返すと。「いくらなら払える?」と日本語で返してきた。クソ詐欺師のくせに金に関する日本語は理解すんだな。この畜生野郎が。


「払うつもりはねーよ」と言うと、

「おいバカヤロー」ときた。人を罵倒する日本語まで使いやがってこの野郎。


「もういいわ。じゃあな」

「おいバカヤロー、高貴な人の火葬場を案内する」てめーなんかに案内されたかねーわ。


「いくらなら払える?」と奴が追いすがる。

「ドネーションは俺が心から払いたいときにするものだ。お前は俺にそれを強いている。(you force me!)」

奴に大声で言い捨てて、俺はその場を去った。


Don’t force me!(俺に強いるな)の方が良かったかなー。なんて思いながらその場を離れて大通りに出る。


疲れた。一人でゆっくりしたい。


だが、全然ゆっくりできるところは無い。インド人は人が多すぎてどこも人だらけで混雑し、ゆっくりできるスペースは容易に見つからない。


とりあえずダーシャシュワメードに戻ることにした。あそこならゆっくり腰を落として、ガートを眺めていられる。


さっきのインド人青年と再会し、さっきの経緯を話す。やっぱりと呆れられた。

火葬場を見たいと言うと、さっき行ったのがマニカルニカーだと言う。当然もう今更戻る気は無い。

もう一つの火葬場に向かうこととした。


行って見ると実は午前中に寄った焦げ臭い匂いがしたガートがもう一つの火葬場だった。


ちょうど死者の身を清め、薪を組み、火に焚べる一連の流れを進めようとしているところだった。


そこで、インド人のおっちゃんに話しかけられ、火葬の話を色々と教わった。彼は自分をKanと名乗った。


火葬場内は写真が厳禁なので無いが、薪の上に布に包まれた遺体を乗せ、死者の息子が聖なる炎で焚べたところで、一旦彼に案内されて、彼の店だという織物屋さんに向かった。

(デジャヴでは無い)


またも特に買うこともなく店を離れ、私がもう一度火葬場に戻りたいと言うと、彼はその帰り道にビジネスが大変だとか、1時間以上ガイドをしていることや、金がないことなどを話し始めた。


織物を買わなかったことで結局はガイド料が欲しい魂胆が読めた。


多分先ほどの店も彼の店ではなく、買ったらコミッションが入るのだろう。


私は帰り際に彼に500ルピー(800円)札を手渡して、一旦帰途に着いた。


ゲストルームに着き、夕食前に軽い食事をSeemaさんに作ってもらって食べた。

日は暮れ始めてはいたがまだ出かけたかったので、Seemaさんに勧められた(ガートとは反対側の)寺院に向かった。そうすると、想像もしていない光景が広がっていた。


赤にライトアップされた寺院のとなりに噴水広場があり現代的な光景を称えている。

そしてなんと隣には遊園地と縁日がある(📷)

そして隣接した寺院は電飾でライトアップされ、パチンコ屋を思わせる(📷)。


悠久の宗教伝統による静寂を讃えたガンガー川沿いから一本裏には娯楽と喧騒の街が広がっていた。


バラナシはヒンドゥー教の聖地であり娯楽的や近代的なものと無縁なイメージがあるが、そんなことはない。たまたま一本裏の道に出ることでそれがわかった。


この二面性をバラナシが持つことを身をもって知り、今日一日を終えた。


明日は予約したボートに乗って朝早くからガンガーを下る予定だ。早く寝なければ。


4日目終わり