あるサラリーマンの冒険的旅行ブログ

とあるサラリーマンの印象的な旅を綴った記録です

ディープなインド旅行4日目@バラナシ

インドで人との出会いを避けては通れない。

その出会いは、幸せな出会いと最悪な出会いが紙一重だ。

今日だけでそのどちらも体験した。


しかし、日本人は出会ってすぐにインド人は自分たちを騙そうとしていると決めつけて拒否する。


だが、彼らもただ興味本意かもしれないし、目的を持ってこちらに接している場合もあり、拒否するならそれが自分の望まないものとわかってからでも遅くない。

それを楽しめるようになると面白い。


なんてね。


朝早く起きたものの、昨晩寝落ちしてしまい進まなかった前日の日記(投稿)を書き進める。


バラナシは朝早くからの行動が吉であるが、朝は明日も来るので、今日は朝からゆっくり行動することとした。


作ってもらった朝食をとり出発。

毎度Seemaさんの作る料理は最高である(📷)あとで聞いたところ、自己流ではあるがゲストに料理を教えることもあると言う。むべなるかな。




とりあえずは一番の見どころらしいマニカルニカー・ガートには行くことにして他に何を決めることもなく出発した。


ちなみにバラナシのガートには2つだけ火葬場があり、マニカルニカーはその大きい方である。


時間はあるので、上流から下流にかけてガートを隈なく回りつつと思った、が、実際は案内表示が英語でされていないところも多く、狭い路地を抜けて全てのガート回ることは困難だと早々に気づいた。

(ちなみにガートは全部で84ある。)


また、ガート自体はただの沐浴場なので、全てを回っても、それぞれに魅力があるわけでもない。


そのため、見る価値のありそうなガートだけ寄りつつ、マニカルニカーを目指した。


ガートのある川沿いには路地が巡っており、ちょうど人が3、4人通れるくらいと細い(📷)。そこを人、野良牛、野良犬、バイクが通って行く。




上流と下流を行き来できる路地は観光客用に店が連なっており、お土産を楽しむこともできる。


が、路地は牛の糞がほとんど踏まれたまま放置されており、ゴミも散乱し、たかるハエや牛や野良犬があさったりするなど、カオスというか単純にクッソ汚い。


こんなところをずっと歩き回って伝染病に罹っても、「あ、やっぱり?」と思うほどだ。


最初のガートに到着した。尖塔が立っており(📷)、その奥から隣のガートを見渡すことができる。


インド人の青年が話しかけてきた。

「どこから来たの?」「東京」

「名前は?」「YUTO ユウトだよ」

「何歳?」「いくつに見える?」

「うーん、25歳くらいかな」「33だよ」

「えーっ!」

このやり取りは今日この時を始めとして明日にかけて5回以上繰り返すこととなる。


さらに、

「お茶飲まない?」「いや、いらないよ」

「奢るからさ」「お腹を壊してるんだ」

この会話も3回以上はしたと思う。


この時は、

「ボート乗らない?友達を紹介するよ」「いや、明日乗る予約をしてるから今日はいいよ」

「あそこにいる女の子のうち誰が好み?」「左の子かな」

「声かけてあげようか」「シャイだから遠慮しとくよ」


インドの青年は人懐っこく、日本人に気軽に話してくる。この時もこんな会話を楽しみ、別れを告げて、次のガートに向かう。


次のガートは少し焦げ臭い匂いがするのガートだった。ヤギと犬と鶏がそこかしこにいる。特に、少し周りを見渡して特になにもなかったため、そこを後にする。

(ただ、あとでまた戻ることになる。)


しばらく歩くと、狭い路地の一本向こうの道に賑やかな市場があったので、そちらに出る。その先にあったのがダーシャシュワメード・ガートだ。


岸辺のほぼ中心に位置するため、最も多くの巡礼者が訪れるガートだそうだ。確かに広く、階段に腰掛ける人、沐浴する人などで溢れており、観光客も時折目にする。


暑いのもあり、階段に腰掛けていると、こちらをチラチラと見てくるインド人のイケメン少年を発見。”look so dandy!”と声を掛け、写真を撮ってあげた(📷)


そのまま腰掛けていると、日本語を流暢に話すインド人青年が声をかけて来た。

一通りの会話は記憶も定かでないので端折るが、自分は地球の歩き方にも載っている織物屋の息子で、そこの宣伝をしているのだという。見ると確かに載っていた。


他にも色々と行く先で注意しなければいけないことなどを聞いた後、彼に連れられて織物屋に行ったが、買わないことをあらかじめ告げ、結局何も買わずに店を出た。


ちなみに、多分息子というのは嘘で、客を紹介してコミッションをもらっているのだろう。ただ、これだけ人が多い中で安定した仕事が少ない中、彼らのやり方を否定することはできない。


それから彼はこの先にある黄金寺院に案内してくれると言ったが、一人で行きたいと告げて彼と別れた。

彼は良いやつそうだ。名前は忘れたが。

帰り道でもう一度会ったので一緒に写真を撮った(📷)


なぜかあった長い行列を避け(後でそれは黄金寺院への行列だと知った)、路地を進んで行くと、すれ違いざまにおっちゃんに話しかけられて、言われるがままに迷路のような路地を進んで行く。


あまりに人気の無く、細く、時折暗いところを進んで行くので、シェンムー的展開(※)が頭をよぎった。


(※路地に迷い込み、地元の不良に絡まれるパターン)


が、そんなことはなく付いたのは火葬場。おっちゃんの知り合いだというボランティアを名乗る男に代わって火葬場を案内してもらう。


その男は近くにホスピスがあることなどなんやかんや説明をした後、遺族に薪代を寄付するのが業(karma)だという話をしだした。


出たよ。クソ詐欺師が!


「他の観光客も20ダラー、30ダラー、40ダラー寄付している。あなたはどうするか?」ときた。


へーへーいきなり通貨はドルかい。それに40ドルだ?ペットボトルのジュース一本が50円の国で単位間違えてんじゃねーのか?


「払えるわけねーだろ」日本語で返すと。「いくらなら払える?」と日本語で返してきた。クソ詐欺師のくせに金に関する日本語は理解すんだな。この畜生野郎が。


「払うつもりはねーよ」と言うと、

「おいバカヤロー」ときた。人を罵倒する日本語まで使いやがってこの野郎。


「もういいわ。じゃあな」

「おいバカヤロー、高貴な人の火葬場を案内する」てめーなんかに案内されたかねーわ。


「いくらなら払える?」と奴が追いすがる。

「ドネーションは俺が心から払いたいときにするものだ。お前は俺にそれを強いている。(you force me!)」

奴に大声で言い捨てて、俺はその場を去った。


Don’t force me!(俺に強いるな)の方が良かったかなー。なんて思いながらその場を離れて大通りに出る。


疲れた。一人でゆっくりしたい。


だが、全然ゆっくりできるところは無い。インド人は人が多すぎてどこも人だらけで混雑し、ゆっくりできるスペースは容易に見つからない。


とりあえずダーシャシュワメードに戻ることにした。あそこならゆっくり腰を落として、ガートを眺めていられる。


さっきのインド人青年と再会し、さっきの経緯を話す。やっぱりと呆れられた。

火葬場を見たいと言うと、さっき行ったのがマニカルニカーだと言う。当然もう今更戻る気は無い。

もう一つの火葬場に向かうこととした。


行って見ると実は午前中に寄った焦げ臭い匂いがしたガートがもう一つの火葬場だった。


ちょうど死者の身を清め、薪を組み、火に焚べる一連の流れを進めようとしているところだった。


そこで、インド人のおっちゃんに話しかけられ、火葬の話を色々と教わった。彼は自分をKanと名乗った。


火葬場内は写真が厳禁なので無いが、薪の上に布に包まれた遺体を乗せ、死者の息子が聖なる炎で焚べたところで、一旦彼に案内されて、彼の店だという織物屋さんに向かった。

(デジャヴでは無い)


またも特に買うこともなく店を離れ、私がもう一度火葬場に戻りたいと言うと、彼はその帰り道にビジネスが大変だとか、1時間以上ガイドをしていることや、金がないことなどを話し始めた。


織物を買わなかったことで結局はガイド料が欲しい魂胆が読めた。


多分先ほどの店も彼の店ではなく、買ったらコミッションが入るのだろう。


私は帰り際に彼に500ルピー(800円)札を手渡して、一旦帰途に着いた。


ゲストルームに着き、夕食前に軽い食事をSeemaさんに作ってもらって食べた。

日は暮れ始めてはいたがまだ出かけたかったので、Seemaさんに勧められた(ガートとは反対側の)寺院に向かった。そうすると、想像もしていない光景が広がっていた。


赤にライトアップされた寺院のとなりに噴水広場があり現代的な光景を称えている。

そしてなんと隣には遊園地と縁日がある(📷)

そして隣接した寺院は電飾でライトアップされ、パチンコ屋を思わせる(📷)。


悠久の宗教伝統による静寂を讃えたガンガー川沿いから一本裏には娯楽と喧騒の街が広がっていた。


バラナシはヒンドゥー教の聖地であり娯楽的や近代的なものと無縁なイメージがあるが、そんなことはない。たまたま一本裏の道に出ることでそれがわかった。


この二面性をバラナシが持つことを身をもって知り、今日一日を終えた。


明日は予約したボートに乗って朝早くからガンガーを下る予定だ。早く寝なければ。


4日目終わり