あるサラリーマンの冒険的旅行ブログ

とあるサラリーマンの印象的な旅を綴った記録です

ディープなインド旅行3日目@バラナシ

想像もしなかったヤバイ事態に巻き込まれてしまった。


列車に乗り、出発までは一番下のベッドに腰掛け、その後は上段の寝台で横になった。


しばらくすると車掌が巡回にきて、俺のチケットを見たところ、車輌を間違えていたようだ。失礼しやした。


隣の車輌の指定の番号を見たところ空いていた。どうやらここで間違いないようだ。


時折蛍光灯の光が差すのと、線路のガタゴト音、人々のうるさい会話を嫌って、アイマスク&耳栓で就寝する。


何駅か過ぎたところ。なぜか車内が騒がしい。


さっきまでもチャイ(インドのミルクティー)などの売り子が車内を回る掛け声で少しうるさいことはあったが、その比ではないまるで暴動のような騒がしさだ。


何て言っているかはヒンディー語なのかよくわからないが、その中で「アウト❗️アウト❗️」と叫んでいる女性の叫び声が聞こえた。何だ⁉️


アイマスクを外して見てみると、暗い中で定かではないが車内がオレンジ色を身につけた集団で混雑している‼️

明らかに寝台を予約しているような連中ではない‼️


どうやらこいつらが寝台の一部を占拠しようとして、言い合いになっているようだ。


後で調べてわかったが、今日8/13月曜日はシヴァ神を讃えるお祭りの日であり、お祭りに参加するものは一同に目的地に向かっていた。

たまたま何の気なしに予約した日がこんな日だったなんてマジでサイテーだ。


タゴール曰く「『人びと』は残酷だが、『ひと』は優しい」の言葉通りだ。


これまで出会ったインド人はみんないい人だったのに。集団になると横暴が過ぎる。


今のところ上段のベッドにいる俺のところまで被害は及んでいなかったが、それも予断を許さない。


と思った矢先にハシゴに足を掛けて一人の男が登って来て俺の足を払って俺の寝台に腰をかけた。くそ!やられた!


蹴っ飛ばしたり、抗議することもできたし、それをする権利はあるはずだが、ただ、この寝台で唯一の日本人である俺にどんな形で集団の怒りの矛先が向かうかわからない。

最悪袋叩きにされかねない。恐怖が襲った。


足を引き、大人しくスペースを譲らざるを得なかった。寝るスペースが3分の2になってしまった。くそ!足を伸ばせない。


他の寝台でもスペースを譲らざるをえず、横にさえなれないところもあった。


ただ俺は何とかずっと横の体勢をキープし、あつかましくもタンクトップを着た占拠野郎が俺の足を叩いたり、話しかけても無視した。


この際、彼らも目的地に向かうのに自分の居場所を確保しようと必死であり、俺がそれをやむなく譲ってあげているのだとポジティブに考えるようにして寝るようにした。

そう思わなければ、なんとも精神的な安定がつかなかったかもしれない。いずれにせよ碌には寝れなかった。


しばらくして各々の定位置が決まり、皆厳しい体勢ながら眠りに就くことで平穏は訪れた。

朝が近づくにつれ、乗客が徐々に降りて行き、俺の寝台を占拠したタンクトップ野郎も降りた(📷)




だが、オレンジの連中は俺と目的地が一緒なのでずっと一緒にいた。早く消えればいいのに。


この間ずっと小をもよおしていたが、寝台を占拠されるかもしれないことと荷物を盗まれてしまうかもしれない不安で我慢し続けた。

(到着前に何とか済ませたが。)

あと、吐き気の再発を恐れてなにも口にできなかった。つらい時間だった。


目的地に到着した。


着いたのはヒンドゥー教の聖地バラナシ。この場所のガート(岸辺から階段になって河水に没している堤)で沐浴することができ、ヒンドゥー教徒の火葬場になっているところもある。


火葬されて、その遺灰が聖なる河ガンガー(ガンジス川)に流され、輪廻から解脱することは全てのヒンドゥー教徒の憧れとされる。

この宗教行事を見に世界中から観光客が集まる。


俺自身もこれからの人生を自分の死を間近に感じ、一日一日を大切に生きるきっかけになれればと思い、この地にやってきた。


さて、事前に予約したゲストハウスに向かう



前に、コルカタに戻る列車の手配をする。


戻ってもコルカタでやることはないので、バラナシから帰国するつもりだったのだが、航空運賃が高く、やむなくコルカタに帰る必要があった。


また、ゲストハウスやガートは駅から遠いため、わざわざ明日以降足を延ばすより今取っておく方がベストと判断した。


一度コルカタで予約できているので手続き上の心配はない。(と思われた)


外国人専用の予約センターはネットで調査済みだ。駅舎とは別の建屋の衝立がある中だという。


少し迷ったが、その建屋に到着し衝立の中を覗き見ると荷物が溢れており、鍵が掛かっている。


おかしい。


通常のチケット受付でないおっちゃんにちょっと話しかけに行くと、インド人と同じ列に並べという。


待て待て、それだけで30分以上はかかるぞ。それじゃダメだとネットにも書いてあった。

そこから、やれパスポートの写真のコピーが必要だとか言われたら時間がいくらあっても足りない。


せめて並ぶ段にきちっと書類は揃えておかねば。とりあえずコピーを取りに行く。


苦労してコピーができる店先の看板を見つけ、お願いすると「隣に頼め」という。

そっか、この看板は隣の看板なのねと思って、隣の店に行くと今さっき行った隣の店を指して「隣に頼め」という。



このクソ野郎どもが‼️


もうテメーらには頼まねえよ‼️もう他に見つからないので、コピーがいらない可能性に賭けて列に並ぶ。


並んでいるとインド人が話掛けてきた。

「前に入ってもいいか?」

「ホワイ?」

いいわけねーだろ、殺すぞ。


30分以上は待っただろう。やっと列の先頭に立つと、ここではないという。「どこか?」と聞くと、駅舎のPlatform 1のTourist Loungeだという。



叫びたくなった。

インドに対する罵詈雑言を。


Platform 1をくまなく回ったが、それらしきところはない。ただでさえ目に付きやすい日本人が右往左往する様に好奇の目が注がれる。


結局見つかったのは駅舎の中の一角だった。

Platform 1じゃないのは最早どうでもいいことだ。その時は半ギレであったが。


駅舎のその他古びた外装に似つかわしくないスタイリッシュな空間(📷)で、先に並んでいたユーチューバーみたいなカラフルな髪色をした日本の学生らしき3人組の順番の後に受付をする。




結局パスポートのコピーもいらなかった。結局チケットを取るのに所要3時間ほど。やれやれ、これがインドだ。


やっとゲストハウスに向かうことができる。


駅から徒歩で1時間ほどの道のり。普通はオートリクシャーに乗るだろうが、俺は徒歩で行く。

まず目的の町に着いたら、地面を踏みしめて歩き、その町の雰囲気を五感を使って感じ取るのが自分のスタイルだ。


だが、メインストリートの道は歩けるスペースは狭く、また牛の糞がそこかしこで避けるのも一苦労だ(📷)

俺がこれまで歩いてきた中でもひどい道のりの1つかもしれない。


やっとゲストハウスの近くに到着し、落ち合ってゲストルームに招き入れられた。

築100年以上だという家の部屋の装いはバラナシらしさを感じるとてもいい部屋だ(📷)。


着き次第、お腹が減っているかホストマザーのSeemaさんに尋ねられ、減っていると答えると食事を用意してくれるという。

そういえば朝からリンゴ一個しか食べてない。


用意してくれたのはインド風チャーハンといった感じか(📷)。めちゃくちゃ美味い。インディカ米でなくジャポニカ米なのがとても舌に合った。


もう夕方に差し掛かったところだが、今日これからちょっとガートを見に行くかどうか尋ねられ、行きたいことを告げると近くのガートを案内してくれるという。


2分ほどの歩くと聖なるガンガーがその姿を現した。見渡す限りとかなり広い。


近くに2つのガートがあり、Seemaさんに色々と説明を受けた。古典的なインドのダンスステージもやっていた(📷)


近くのAssiガートではちょうど死者を送るセレモニーが行われ、その段でSeemaさんは先に戻ることを告げ、一人で見ていた。


そうすると日本語を話すインド人に話しかけられた。自分をマサヒロと名乗るそのインド人は彼女が日本人で、今大学で日本語を学んでおり、俺と話すこと自体が勉強なので俺とコミュニケーションをとりたいという。


彼にゲストハウスやパーティ、観光ボートの斡旋や夜の手配など色々と誘われたが、いずれも断った。

本当に彼がいいやつで心の底から俺のことを思って、誘ってくれている可能性もあるが、もし万が一彼が悪意を持った者だった時、一人の俺が抗う術が無いためである。


彼に「しばらく彼女もおらず、旅行先でイヤラシイ楽しみをすることも無く、なんなんだ」と言われ、「一人が好きなんだ」と答えた。


いいんだよ、ほっとけ。


しばらくして彼と別れ、家路につくことに。

別れ際に何だかんだ言われたので、もしかしたら彼に何かしらの下心はあったのかもしれない。


少しの寄り道をして、(あっ暗いからウンコ踏んでしまった)、家路についた。


Seemaさんと旦那さんと食卓を囲み、バラナシや日本、俺自身についてなど会話を交わしつつ楽しいひと時を過ごす。英語を褒められたのは初めてかもしれない。


そんなこんなで激動の一日を終えて、この日記を書きつつ眠りに落ちた。


明日はどんな日になるだろう。


3日目終わり