あるサラリーマンの冒険的旅行ブログ

とあるサラリーマンの印象的な旅を綴った記録です

フィリピン ルソン島バイク紀行5日目(最終日)

どうにも普通の観光地巡りは苦手である。想定外のことが何も起こらずつまらない。ともかく今日がフィリピン旅行の最終日だ。


チェックアウトの11時近くまでゆっくりと帰る準備をすませ出発。


特に行きたいところはないが、とりあえずマニラ市内唯一の世界遺産の教会でも見に行くか、仕方ない。。

世界遺産に行くのがライフワークになっているが、ここは義務感みたいなものだ。

あ、今行っても昼休み時間で空いてねーな。

どーせ中見てもしょうがないし、いいか。


高架鉄道でフィリピン人にまみれて移動。遅いし、乗り心地もあまり良くない。


つくづくマニラは交通がとても不便なところである。

鉄道は3路線しかなく、道路は渋滞がひどい。地下鉄が通る計画があるらしいが、遅すぎる。

ともかく行きたいところが複数あったとしても効率的な移動の手段はない。


世界遺産のサン・アウグスティン教会に着いた(📷)。あ、日本人の若い男の団体がおる。学生かも。大の大人4人でこんなところ見てもしょうがないだろ。。

(自分もその見学者の一人ではあるのだが、とかく群れて行きやすい有名な観光地を巡るだけの人には厳しい私。。)


その後、マニラ大聖堂、サンチャゴ要塞を巡る。あー歴史あるねー。そうですかそうですか。


それにしても暑い。。最高気温36℃だもんな。重いバックパックを背負って、アホらしい。


飯もその辺の適当なレストランで済ませ、誘われるがままにカフェに入り、やたら薄いアイスコーヒーを飲んだ(📷)。そんなこんなで昼過ぎまでグダグダする。


この間すごく心に引っかかっていたことがあった。


マニラはフィリピンの首都かつASEANの中核都市の1つとして高層ビルが立ち並ぶ一面と、多数のスラムを抱える二面性を持っている。


後者の究極がこの近くにあるのだ。

詳しくは、ハフィントンポストのこの記事(https://m.huffingtonpost.jp/ted-mcdonnell/happyland_b_17549600.html)に載っている。


この「ハッピーランド」を一度見てみたい。だが一人で容易に立入れる場所ではない。

タクシーで寄るだけならできないか?だが、フィリピン人でさえ近付きたがらないようなところに行ってくれるだろうか。。


使い慣れたタクシー配車アプリで、経由地を「ハッピーランド」にし、最終地をマニラ空港に設定した。出た金額は残りのペソギリギリだ。ええい❗️予約❗️

いつまでたっても予約が確定しない。。

ダメか。。


そもそもそこに行って、何が出来るわけでもない。ただ単に好奇心の現れだ。

何か価値観が変わることを期待したが、「そんなことじゃダメだ」と言われた気がした。


特に触れることはなかったが、この旅でも、これまでに時々貧困に出くわしてはいた。

カフェで食事している時に子どもに金銭をねだられ、子どもが露店で働く様子も目にした。田舎の道を走っている時には、迂回する道沿いに子どもがコップを持ち、道行く車に振っていた。


だが何もしなかった。できなかったわけではない。

俺が金銭を与えると、ますます彼らはそれに頼る生活を続けるだろう。それは正しい道ではないと思う。


鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは慈善家としても高名だったが、彼は決して日々生きる糧の金銭をねだる者にそれを与えることはなかった。最初に彼らに金銭を与えた者が彼らを堕落させたとまで、彼の著書「富の福音」で述べている。


どうあれ自分が今出来ることはないのだ。。失意のままマニラ市街を後にした。最後がこんなで終わるなんて。


今回の旅を振り返ると、5日間という短い旅の中でも色々あって、それだけまたいい旅だったな。海外でバイクに乗る夢が果たせたし、日本でなかなか目にできない子どもの貧困の問題も目の当たりにした。

この経験を糧にして、自分は死ぬまでに何が出来るだろうか?


さて、日本に到着するのは日付をまたいだ頃だったか。行きつけのバーに土産を置きつつ、土産話でもしてこよう。。


グッバイフィリピン❗️また来るぜ❗️

この旅を終えた。


〜マニラ旅行・ルソン島バイク紀行終わり〜