あるサラリーマンの冒険的旅行ブログ

とあるサラリーマンの印象的な旅を綴った記録です

ディープなインド旅行〈序章〉

昨日は私の誕生日。会社の仲間に盛大に祝ってもらい、そのまま夢の中。朝10:40成田出発だというのに朝6時に起きた時点で何の準備もできていない。チャチャっと準備して成田到着。


今回の旅行先はいつもよりもリスクが高い。いつもの腕時計は家に残し、安物を買う。携帯電話をスられないようにケースに入れてバンドでズボンにかけておけるようにした。これでとりあえずオーケー。まずはトランジットの香港に向かう。


次の出発までの乗り継ぎ時間はおよそ8時間。プライベートなタスクをこなしていると、何だかんだで出発の時間になった。インド人に紛れて飛行機に乗り込む。今回の目的地は電光掲示板によると加爾各答である。(どこやねん)


夜22:30発にもかかわらず機内食がでるのには辟易した。こんなだったらトランジットで飯食うんじゃなかった(📷)。


ともかく今回の目的地であるコルカタに到着した。


日本との時差は3時間半、到着は現地時間0:20。コンタクトの張り付いた目が悲鳴を上げている。


そうはいっていられない。まずはビザを取得しなければならない。実はインドへの入国にはビザが必要で、前回訪問時は事前に取っていたが、今回は取っていない。


実は日本人はインド入国時にアライバルビザという到着時にビザが取れる制度があるのだ。


入国が許されなければ強制帰国となるリスクはあるのだが、事前にビザを取るのは結構な手続きが必要なので、到着時にすこしくらいの手間がかかってもいいということでお試しがてら今回はこっちにした。


到着次第いつもの入国手続き審査ではなく、visa on arrivalカウンターへ直行する。

フォームに必要事項を記入し、写真を撮り、指紋を取られて、手数料2000ルピー(3200円くらい)をクレジットで払い、無事にパスポートの査証欄にビザの判子をもらって入国手続きが完了。特に小部屋にドナドナされることもなかった。


ちなみに、入国時は滞在先住所を書かされるが、予約取ってないのでガイドブックのテキトーなホテル(Timestar hotel)を書く。ここは嘘をつき通すのが大事である。


さて、入国したが時間は夜中2時過ぎ。

ホテルもなければ他にやることもないのでとりあえず空港内で夜を明かすことにする。


空港内ソファで寝そべって過ごそうかと思いきや、3人がけのシートは何とほぼ全て肘掛けが固定されている。クソが❗️


やむなく他の数名のインド人の様に空港の硬く冷たい床に寝そべる。荷物はしっかり持っていなければならないし、枕になるようなものもないので腕枕である。

ホームレスの気持ちがわかった。来て早々やってくれるじゃないかコルカタのやろう。


さあて夜が明けてから何をしようかな。


序章終わり

フィリピン ルソン島バイク紀行5日目(最終日)

どうにも普通の観光地巡りは苦手である。想定外のことが何も起こらずつまらない。ともかく今日がフィリピン旅行の最終日だ。


チェックアウトの11時近くまでゆっくりと帰る準備をすませ出発。


特に行きたいところはないが、とりあえずマニラ市内唯一の世界遺産の教会でも見に行くか、仕方ない。。

世界遺産に行くのがライフワークになっているが、ここは義務感みたいなものだ。

あ、今行っても昼休み時間で空いてねーな。

どーせ中見てもしょうがないし、いいか。


高架鉄道でフィリピン人にまみれて移動。遅いし、乗り心地もあまり良くない。


つくづくマニラは交通がとても不便なところである。

鉄道は3路線しかなく、道路は渋滞がひどい。地下鉄が通る計画があるらしいが、遅すぎる。

ともかく行きたいところが複数あったとしても効率的な移動の手段はない。


世界遺産のサン・アウグスティン教会に着いた(📷)。あ、日本人の若い男の団体がおる。学生かも。大の大人4人でこんなところ見てもしょうがないだろ。。

(自分もその見学者の一人ではあるのだが、とかく群れて行きやすい有名な観光地を巡るだけの人には厳しい私。。)


その後、マニラ大聖堂、サンチャゴ要塞を巡る。あー歴史あるねー。そうですかそうですか。


それにしても暑い。。最高気温36℃だもんな。重いバックパックを背負って、アホらしい。


飯もその辺の適当なレストランで済ませ、誘われるがままにカフェに入り、やたら薄いアイスコーヒーを飲んだ(📷)。そんなこんなで昼過ぎまでグダグダする。


この間すごく心に引っかかっていたことがあった。


マニラはフィリピンの首都かつASEANの中核都市の1つとして高層ビルが立ち並ぶ一面と、多数のスラムを抱える二面性を持っている。


後者の究極がこの近くにあるのだ。

詳しくは、ハフィントンポストのこの記事(https://m.huffingtonpost.jp/ted-mcdonnell/happyland_b_17549600.html)に載っている。


この「ハッピーランド」を一度見てみたい。だが一人で容易に立入れる場所ではない。

タクシーで寄るだけならできないか?だが、フィリピン人でさえ近付きたがらないようなところに行ってくれるだろうか。。


使い慣れたタクシー配車アプリで、経由地を「ハッピーランド」にし、最終地をマニラ空港に設定した。出た金額は残りのペソギリギリだ。ええい❗️予約❗️

いつまでたっても予約が確定しない。。

ダメか。。


そもそもそこに行って、何が出来るわけでもない。ただ単に好奇心の現れだ。

何か価値観が変わることを期待したが、「そんなことじゃダメだ」と言われた気がした。


特に触れることはなかったが、この旅でも、これまでに時々貧困に出くわしてはいた。

カフェで食事している時に子どもに金銭をねだられ、子どもが露店で働く様子も目にした。田舎の道を走っている時には、迂回する道沿いに子どもがコップを持ち、道行く車に振っていた。


だが何もしなかった。できなかったわけではない。

俺が金銭を与えると、ますます彼らはそれに頼る生活を続けるだろう。それは正しい道ではないと思う。


鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは慈善家としても高名だったが、彼は決して日々生きる糧の金銭をねだる者にそれを与えることはなかった。最初に彼らに金銭を与えた者が彼らを堕落させたとまで、彼の著書「富の福音」で述べている。


どうあれ自分が今出来ることはないのだ。。失意のままマニラ市街を後にした。最後がこんなで終わるなんて。


今回の旅を振り返ると、5日間という短い旅の中でも色々あって、それだけまたいい旅だったな。海外でバイクに乗る夢が果たせたし、日本でなかなか目にできない子どもの貧困の問題も目の当たりにした。

この経験を糧にして、自分は死ぬまでに何が出来るだろうか?


さて、日本に到着するのは日付をまたいだ頃だったか。行きつけのバーに土産を置きつつ、土産話でもしてこよう。。


グッバイフィリピン❗️また来るぜ❗️

この旅を終えた。


〜マニラ旅行・ルソン島バイク紀行終わり〜

フィリピン ルソン島バイク紀行4日目

最悪な状況を考え、それを避けるために最善を尽くして待つ。それができれば心の中に平穏が訪れる。

(デール・カーネギー「道は開ける」より筆者要約)


ちょっとだけ昨夜の続き。ゲストルームに戻り、保険会社と電話。実は出発前に空港の端末で保険に入っておいたのだ。

しかし、結果はNG。車両の保険は含まないという。治療費なら面倒見るけど。とさ。

もういいわ❗️


修理費は自腹確定。手持ちのペソも心許なく、日本円も限られている。どうしよう。。とりあえず横になる。(結果は後述)


安ゲストハウスの安普請で、周りが民家のため、ものすごくうるさい。

人々の争い声、バイクが通る音、犬の遠吠え。勘弁してくれ。。

耳栓して寝る。飛行機用だが、あって良かった。。


朝は6時起床。軽い朝食をご馳走になった。


この宿はバックパッカーの溜まり場になっているようで、デカいバックパックがそこら中に置かれている。設備は簡素だが滞在者のノートなどが置かれており、俺も記入した。


俺も本来であれば、昨晩に宿主のRandyや彼らと交流をしたりすべきかもしれないが、10時間近くかけてバイクを運転し、それもその途中で自爆して負傷して満身創痍、修理費をどうするかで頭が一杯な俺にその余裕はなかった。しかも翌日は一番移動距離が長い日なのだ。(と言いつつ、根はシャイなのも結構大きい。。)


彼らに別れを告げ、出発。


バナウェの棚田はいくつかのエリアに分かれており、それぞれのエリアに見どころの棚田があったり、トレッキングできたり、1日から数日は楽しめる世界遺産だ。

バイクでなくとも来る方法はあるので是非オススメする。


しかし、俺にはそれらを楽しむ時間がない。

昨日見たあの素晴らしい棚田がバナウェで一番の棚田のビューポイントであることも確認でき、目的は果たした今帰るのみ。


朝早く出たものの、Google map先生の到着予定時刻は15時半。目標はレンタルバイク屋が閉まる18時。余裕時間は2時間半。


しかしこれはノンストップ、そして車を想定した時刻であり、

・貧弱なトルク

・貧弱なガソリンタンク

・最低限の休憩

・予期せぬ渋滞 など

でロスする時間を考えると余裕はない。


我ながら無理な計画を立てたもんだ。。敢えて自分に厳しい制約を課して、その期待に応えようとする。そんなことばかりしてしまう。とても人にはさせられない。。


帰りはその時々で快適と不安が入り混じる複雑な心情のツーリングだった。


初めは昨日の転倒のトラウマから抜けられなかった。一瞬挙動がおかしい気がしたがきっかけとなり、路面状況のせいなのか、車体の足回りのせいなのか不安がよぎった。足回りなら最悪だ。

カーブで挙動がおかしくなり、膨らんでしまうと、運が良ければ斜面に突っ込み、運が悪ければ崖から転落、もしくは対向車の餌食だ。まさに日常にない命の危険がここにある。


慎重にカーブをクリアしていき、足回りの不安は解消した。


街中の渋滞や、たまにある路面の悪いところを除けば、帰りの道はツーリングにふさわしい広い道路と開けた景色、紺青の青空が広がる快適なツーリング。

最終日をこちらのルートにしたのは予期せぬ好都合だった。


途中の道の休憩所で、昨日コメントにもいただき、食べてみたかった雛の形を残したグロいアヒルのタマゴ“バロット”を食す(📷)。


味はほぼゆで卵の味で美味い。だがそれならなぜこんな姿で食うんだ。。


レンタルバイク屋のあるアンヘレスについた頃には、夕方の帰宅ラッシュの時間で、様々な方向に向かう様々な車両でもみくちゃな渋滞。しかし、最早そんな状況でたじろぐ俺ではない。冷静に渋滞を抜けていく。


さあて、あとは修理費の弁償か。

最悪な状況は手持ちの日本円を両替しても足りない場合か。。パスポートのコピーを渡して、帰ったら指定の宛先に振り込むから振込先を教えてくれと言えばいいか。銀行に聞けば海外送金サービスもわかるだろう。よし、なんとかなる。道中そう納得させてツーリングを続けていた。


ようやく17時頃にレンタルバイク屋に到着。


結果はデポジットとして預けていた二千ペソ(四千円)のうち、千ペソを取られただけで済んだ。二千円。安っ。

いくら心配しても結局はこんなもんだよね。


アンヘレス〜バギオ〜バナウェ〜アンヘレス(📷)と三日間で25時間近くを掛けて回った約640kmのバイクの旅を終えた。無事にとは言えなかったが。


この旅で、どんな状況でもやり遂げる、生きていける自信が深まったのを感じた。


アンヘレスからマニラにバスで戻り、ゲストハウスに荷物を置き、またMetrowalkに向かう。


最後のマニラの夜なので繁華街マカティのゴーゴーバーにでも行ってみたかったが、諸般の事情(金、時間、自分一人…)によりやめた。

そのかわり帰ってから川崎のフィリピンパブに行こうと決めた笑


1日目とは違う店で圧巻のライブ(📷)を聞きつつサンミゲルを飲み、家路に着く。


明日は夕方の飛行機で発つまでマニラ旅行をしようか。行きたいところもないなぁ。


4日目終わり